BS-TBS特番「日本赤十字社Presentsバングラデシュ避難民に寄り添って~海外救援看護師のルポルタージュ~」

BS-TBS特番
「日本赤十字社Presents
バングラデシュ避難民に
寄り添って
~海外救援看護師の
ルポルタージュ~」
11/28(日) BS-TBS 12:30〜13:00O.A
放送後、日本赤十字社YouTube公式チャンネルでも1年間掲載
OA映像より・感染症の疑いのある親子の診察の様子
2017年8月、ミャンマーで発生した大規模な暴力から逃れ、隣国バングラデシュに避難した70万もの避難民は、今なお行き場所を失ったまま避難民キャンプに閉じ込められています。本番組は、劣悪な環境で厳しい生活を送る避難民が「ジャパンクリニック」と呼ぶ日本赤十字社の診療所と、避難民の痛みを分かつかのように奮闘する海外救援看護師のルポルタージュです。番組では治療に通った避難民の方々から、ミャンマーでの暴力発生当時の貴重な証言も収録しました。
バングラデシュ避難民取材のためキャンプ内を歩く
OA映像から・避難時に父を暴徒に殺された、避難民のヌルキダさん(16歳)
OOA映像から・赤ん坊を抱っこするこども
日本赤十字社バングラデシュ事務所代表苫米地則子さん(ピンクのスカーフの方)と取材する筆者
日本赤十字社の広報のお手伝いをしはじめて5年。6回もの災害取材を始め、コロナ禍の医療現場、性暴力被害者の支援施設、身寄りのない子どもたちを養護する乳児院など、日赤の取材先に楽しい所はありません。。
涙を悟られないよう、まばたきをこらえてもボトボトと落ちたりする撮影も少なくなく、今回もそんな取材でした。
ミャンマーからの生死をかけた脱出。受けた心身の傷。
子どもたちに「希望や夢は?」と聞けば、誰ひとり答えません。
もしかすると、「ミャンマーにいた頃は?」と問い直せば、「先生になりたかった」「医者になりたかった」と饒舌に語りだすのです。が、すべて「過去形」なことに気がつき、胃のあたりが締め付けられます。
例えるなら映画「ターミナル」のような状況でしょうか。故郷にも戻れず、新しい国にも入れない。就職出来ず、銀行口座どころか戸籍もなく、財産の所有もNG。携帯電話さえも許されていません。
でも心がジーンと熱くなることもあります。
ボランティアの教育現場では、下手な日本の職場教育では、かなわないほどの意識の高さ・倫理観を感じます。また、キャンプでは小さな子どもが赤ちゃんをだっこしたり手を引いている姿が当たり前なのですが、その姿から本当に愛情を注いでいるのが伝わってきます(見るときっと胸があつくなりますよ)。診療所では、歩けない患者のために、近所の方が椅子でこしらえた籠で通わせたり、患者がふらつこうものならすぐに人が飛んできて助けます。そんな、日本では無くしてしまったような強い家族愛や同胞愛がありました。
懸命に生きる姿や、人びとの優しさにみちた瞳。今回取材した苫米地さんたち派遣職員は、そんなところに心を奪われている気がします。
現地診療所のスタッフ、バングラデシュ赤新月社の看護師をインタビュー(赤新月社:ムスリムの国では、十字軍の印象を嫌うことから赤十字ではなく赤い三日月を使用します)
カメラを構える筆者、手前の女性は日本赤十字社 本社国際部の山根利江さん
当初不可能に思われたコロナ禍での海外取材が実現できたのは、危険地域における安全管理の豊富な実績と経験を持つ日本赤十字社や、現地での危機や変化をキャッチ・計画をバックアップするバングラデシュ赤新月社、国際赤十字・赤新月社連盟の尽力に依るところが大でした。そして当社を含め日本テレビグループが、撮影特有の危機管理を行うなど、それぞれの強みを共有でき、また互いに信頼し合えたことが実現につながったと振り返って思います。
「この取材が支援につながる」と頑張っていただいた、100名は軽く超えると思われます関係者の汗と努力に、深い感謝と敬意を表します。
映像事業センター 映像制作部 シニアED
元 安司
キャンプ近隣、コックスバザールの市街